天明八年十一月二十二日の宵闇に
お茶の水柳の馬場の傍らで殺された田沢安兵衛。
これが遊女高窓太夫の父。
その、殺した仇を捜し出すというのが
夕立勘五郎新シリーズ
高窓篇 です!
で、このお茶の水 「柳の馬場」 という馬場、
武士が馬上訓練をする場所は、
実は、柳でなく「桜の馬場」、
御茶ノ水馬場ともいい、
湯島聖堂、昌平坂学問所の隣にあったそうです。
現在、お茶の水橋を渡って東京医科歯科大学がある処です。
馬場の左右に桜もみじの大木があったといいます。
江戸末期には江川太郎左エ門掛鉄砲鋳場となり、
明治8年にはお茶の水女子大学の前身である
東京女子師範学校がこの場所に設立されます。
東京女子師範学校の卒業生の同窓会
「桜蔭会」は、
「桜の馬場」の桜から名付けられたそうです。
そして現在も女子中高の名門校で有名な
桜蔭学園は
その桜蔭会が関東大震災後に設立した学校とのこと。
ですので、本当は
「柳の馬場」ではなく、
「桜の馬場」と呼ばれていた可能性が高いのですが、
夕立勘五郎の話の中で
武士、田沢安兵衛が騙し討ちに合って殺され場所ですから、
桜より柳の方が雰囲気がありますし、
台詞の言い立てもきれいに聞こえます。
「桜蔭」の「蔭」はもしかして、柳のことではないか、柳の木でも有名だったのではないかと想像してしまいます。
落語の二代目三遊亭円歌師匠の
「柳の馬場」という噺を聞きました。
こちらは「柳の馬場」
サゲに柳の木も絡んで来ます。
余談ですが、二代目円歌師匠、
時代に合った落語で
生で見たらもっと面白かったのだろうなと感じました。
ということで、結論として
「柳の馬場」は変えたくないのですが、
色々と勉強になりました。
話のマクラになりそうです。
まさか桜蔭学園にまで派生するとは思いませんでした(o^^o)
明日、お茶の水の近くに行きますので、
おそらく面影は無いと思いますが
想像を膨らませて、
土地を見て来ようと思います。
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