日本映画と語り物の文化 発掘された『乃木将軍』フィルムを中心に
明治時代から昭和初期までの日本では、サイレント映画に弁士と呼ばれる語り手が声を当て、観客を魅了していました。しかし時には、弁士にくわえて義太夫・琵琶、浪花節など語り物と呼ばれる多様な芸能も映画上映を彩りました。この流れはトーキー映画の時代にも続き、1930年代にはスター浪曲師の声を録音した「浪曲トーキー」と呼ばれる作品群も制作されています。
2016年、この浪曲トーキーの35mmフィルムが演劇博物館の小沢昭一旧蔵資料から発見されました。これは現存未確認の『乃木将軍』(池田富保監督、日活、1935年)のもので・・・しかし興味深いことに、発見されたフィルムには浪曲トーキーの最大の特徴である浪曲の音声がなく、字幕をくわえてサイレント映画として再編集されたものであることがわかりました。
この催しでは、この特殊なフィルムを手がかりに、さまざまな観点から多様な語りと映画の織り成す文化の諸相に光を当てることを試みます。弁士と浪曲師による2種類の語りで『乃木将軍』を上映することにくわえ、現存する乃木将軍関連の琵琶台本の実演、日本映画と語り物の伝統を多角的に討議するシンポジウム・・・
とちょっと難しいアカデミックな内容でございますが、
簡単に申しますと
この浪曲トーキー「乃木将軍」は名人 寿々木米若先生の口演と記録に残っているそうです。台本作成にあたって、米若先生のSPレコード「乃木将軍と孝子辻占売り」を参考にしました。他の浪曲師の同じ演目のレコードもいくつか有り、聴き比べましたが、おそらく最初に米若ありきで、台本や節を真似てレコードにしたのではないかと思いました。
それほど良くできた素晴らしい演目で、おそらく当時大変ヒットしたのではないかと想像しています。「佐渡情話」ほどではないとしても、この演目の節真似のレコードも出ているようですし、浪曲師も真似して、大衆も真似をして米若節で乃木将軍伝の一節を唸っていたと考えると、昔のことが現代に色付きで蘇ってくる様です。
「乃木将軍」伝も、明治150年の現代には色褪せたもののように思われがちですが、
水戸黄門のように物語の一番最後に、ただのおじいさんだと思っていた人が実はとても偉い人だったと分かる驚きや、日露戦争で多くの兵を殺してしまった慚愧の念を常に忘れず、明治天皇崩御の際に、静子夫人と共に殉死を遂げるという悲哀の将軍の人格。二人の子息を日露戦争で亡くしながらもそれを隠して堪える、赤穂義士伝にも通じる点。辻占売りの少年の母を想う心や、それを見守る周りの大人たちの浪花節な、泣かせる義理人情など、物語としての、浪曲としての素晴らしい要素が沢山詰まっていまして、大変感動しました。
これからも新しいことに常に挑戦し続け
古典と新作をしっかりと勉強し
お客様に楽しんで頂ける舞台をきっちりと務めるよう浪曲道に精進して参ります。
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