赤穂浪士 討ち入り後の年越しは?

元禄15年12月14日に赤穂浪士は吉良邸に討ち入り、見事仇討ちの本懐を遂げます。

その後、四十七士たちは、

細川綱利、松平定直、毛利綱元、水野忠之の4家に分割してお預けとなります。

 

後に幕府の評定によって元禄16年2月4日に一同は切腹することになりますが、

元禄15年の年末、仇討ちの快挙を遂げた後で、赤穂義士たちはどの様な心境であったのか?

どの様な年越しを、お預け先の屋敷で迎えたのか?

ふと気になりました。

 

長い年末だったのでしょうか、あっという間に新しい年を迎えたのでしょうか。

一人一人の心の奥に、深いストーリーが広がっています。

忠臣蔵は日本人の心です!!

 

 

コメントをお書きください

コメント: 2
  • #1

    亜津佐 (火曜日, 20 12月 2016 16:55)

    浪士たちの年越し・・・そうですね・・去来するものは、何だったのでしょうか?
    別れた妻子、恋人への思い。両親への思い。援助してくれた方々への思い。あるいは、淡々と過ごしていた浪士もいたことでしょう

    こころの内は永遠に謎ですが、心意気は推し測ることができますね
    だから、時代を経ても語り継がれ、愛されているのでしょう

  • #2

    一太郎 (火曜日, 20 12月 2016 22:59)

    亜津佐様
    確かに、淡々と過ごしていた浪士もいたでしょうね^o^

    「こころの内は謎だが、心意気は推し測ることができる」
    素敵なお言葉です!

    こんなことを考えながら、義士伝で浪曲、取り組んで参ります。